2016年御翼1月号その4

魂のやせた人間を軽蔑する―矢内原忠雄(元東大総長)

 ノートルダム清心女子大学・元学長の渡辺和子は、キリストと出会ったのは、多くのクリスチャンを通してだと以下のように記している(渡辺和子『愛することは許されること』より)

 私のキリストとの出会いは十八歳で受けた洗礼の時とも言えますが、むしろ、その後、数多くのキリストを信じる人たちと知り合い、その人たちを通して、キリストと出会ったように思います。
 その中でも忘れ難い一人は、アメリカ人宣教師でした。その人と出会うまでの「私」はいったい何だったのだろうとさえ思います。ただ生きていた″だけの私にその人は一人のかけがえのない人格として生きることを教えてくれました。その人はまた、「私は私であって、他の誰でもないし、他の誰にもならなくていい」ということを教えてくれました。生まれつきの自分自身の存在についての自信のなさ、絶えず私より頭の良い兄や姉に比較されたことからくる劣等感、その反面、人一倍傲慢(ごうまん)で、他人に負けることの嫌いな性格、それを知った上で、その人は、私が私であることが喜べるという大きなプレゼントを与えてくれました。ありのままの私を―欠点も弱点も、長所も短所も―すべてを引っくるめて愛してくれる人と出会って、その人が一生を棒に振って仕えているキリストの、すべての人を肯定する愛に触れ、キリストの魅力を垣間見たように思ったものです。
 「自分自身を受け入れる」ということは、決してやさしいことではありませんが、私は本当にたいせつなことだと思っています。それは、自分を真に愛するということだからです。「自分らしさ」が愛せて、初めて自分らしさが育ってゆきます。私たちは一人ひとり、自分の過去を持ちながら、自分の理想像へ向かって歩いてゆくのではないでしょうか。アイデンティティの確立には「手本」が大きな役割を果たします。キリストは私にとっての「手本」になっています。いろいろの方々と出会って、その方たちが、それぞれの個性を殺すことなく、キリストへの道を歩いているのを見ることができました。

 更に、高見澤潤子(クリスチャンの劇作家、「のらくろ」の作家・田河水泡の妻、小林秀雄の妹)は、自分を知るために最も大切なことは、自分を捨て切ることだと、以下のように記す(高見澤潤子『愛の重さ』より)
 自分を知る、最も大切なことは、自分をすて切ることなのである。ひとのことが気になったり、不安になったり、不満になったり、いらいらしたり、腹を立てたり、絶望したり、くよくよするのは、みんな自己中心的な気もちからくるのであって、始終こんな状態でいたら、決して自分のことが、わかるはずはないのである。自分を考えずに、ひとのことを思い、自分がひとのために働いて、こうすることができるのは、幸せだなと思う時、本当の自分になる。結局、自分を知ること、自分に与えられているものを知ることは、けんそんな心、ゆたかな心、自分と同じように、人のことを思う心になることである。
 昭和十二年頃、日中戦争がおこり、日本は軍国主義、独裁主義一色の時代であった。その頃帝国大学(今の東京大学)の教授だった矢内原忠雄(経済学者。元東大総長。一高在学中に内村鑑三に入門したキリスト者)は、そのような日本政府をきびしく批判した。政府は怒って、そんな奴に帝大教授をさせておくわけにはいかん、といって、彼を辞職させた。彼は、学生との別れの最後の講演の中で、こういった。「身体ばっかりふとって、魂のやせた人間を軽蔑する。どうか諸君は、そんな人間にならないでほしい」身体ばっかりふとって、というのは、物質的な欲の深い、自己中心的な人、そういう人は、ひとのことなどてんでかえりみず、ひとの気もちを思いやることもなく、ゆるすといったゆたかな心をもたない、やせた魂、貧しい魂をもった人である。そういう人には、自分というものが、なかなかわからない。

矢内原忠雄(1893−1961)経済学者。元東大総長。愛媛県生まれ。一高在学中内村鑑三に入門、キリスト教の信仰で生涯を貫いた。第二次大戦頃に、ファッショ化に進む日本の現状を批判し、東大を追放される。戦後、東大に復帰と同時に全国講演行脚。東大総長時代、内外の政治的圧力に対し、学問と大学の自由を守ろうとした。
   高見澤潤子『愛の重さ 新しい女性の生き方』(玉川選書)より

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